父は何も手を貸してくれない人でした。
自分が手を貸さない分、手を貸されるのも嫌う人で、たまにどこかへ出かける時も「車で送るよ」と声をかけても断って歩いていく父でした。

今自分がやっている仕事の事を話しても、「おまえが自分の家族を守れればそれで良い」と言って細かい事は聞く耳持たず、見捨てられているのかと思うほど冷たい言い方をする人でした。

見たことが無いので正直解らないのですが、父がこういう考え方になったのは、父が機械屋として、ひたすらモノを作っていたからなのかもしれません。
ただ作り出したものは秀逸で、森永の「小枝」や「DARS」、「ヌーボ」等は父が世に送り出したものです。子供の頃は確かに兄弟4人で父が作ったお菓子を食べてました。

父は派手な事は一切好まず、定年退職後は趣味のマラソンに没頭して、日本中の大会に出場してました。そして我々兄弟には「自分がもし死んだら骨を海に撒いてくれ、お前達には一切自分の物は残さない」と言い切っていましたが、こんなに唐突に、まさか本当にそうなるとは考えもしませんでした。

母の事もあるので全て言われた通りにはできませんが、今更頼るつもりはないし、頼りたくもありません。ただ、父にはもっと生きて、兄弟4人とその子供達の成長をこれからも見守って欲しかったと思うばかりです。

今となっては更にモノを言わなくなった父に対して、どう表現すれば良いのかすら解りませんが、落ち込んでいても仕方がありませんし、自分にも守るべきものがあるので、切り換えてできる事からやっていくしかありません。

昨日仕事で横浜での打ち合わせを終えた後、実家に泊まって葬儀の全てをデータ化してきましたので、一応一区切りはできました。明日からは全て通常通りに戻し、私はDigitalStudioBUNとして頑張ります。

ここ数日音信不通となり、お客様には多大なご迷惑及びご心配をお掛けして申し訳ありません。もう大丈夫ですので、今までと変わらぬご愛顧及びお付き合いをして頂けますよう宜しくお願いいたします。

また、葬儀に御会葬頂きました方々、父の為にお志をお送り頂いた方々に、兄弟を代表して心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。今回皆様からお借りしたものは必ず返します。

願わくばこれから一人で生きていかなければならない母に対して、皆様が心の支えとなっていただける事を願います。
至らぬ事ばかりですが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

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Posted by DSBUN