8/24一杯まで自宅にて自粛しています

ぶんです、久しぶりの投稿です。

今年の1月8日にプノンペンに入国し、向こうでお仕事をさせて頂いていたのですが、3月になってコロナが本格化し、プノンペンも一時ロックダウン状態。3~5月は殆ど事務所から動けず、予約していた帰国便も1ヵ月、また1ヶ月と延期となり、結局約8ヵ月もの間プノンペンに滞在しておりました。

8月10日にようやく帰国。今回は期間が長かったのにコロナもありこれといった成果も出せず、海外経験もプノンペンから動けなかったので大した事もできずと大変残念な出張でした。

カンボジアスラムでの生活はかなり慣れましたけど。
ともかく無事に戻って来れましたので、その報告をさせて頂きます。

まず、私はコロナは持っておりません。

成田の検疫で支給されたブルーシート。帰国後は常に財布に入れて持ち歩いてます。

カンボジアは3月に一度ロックダウン状態になってから入国制限、外出制限、道路封鎖が課せられ、経済が停滞しお店の閉店が相次いだものの、その後はコロナとはほぼ無縁の国でした。現在でもレベル2(日本はレベル3以上)となっております。

では何故帰って来れなかったというと、誤解を恐れずに言えばカンボジアが鎖国したのです。入国者には3000USドルのデポジットと5万ドル以上の保険、PCR検査による陰性証明書の3つがないと入国できないようになりました。高すぎ。このせいで観光客は皆無となり、コロナが持ち込まれることはなくなりました。

もう一つ。カンボジアから出国する人がコロナを持っているかの出国審査が必要となりました。この証明は出国検査官により基準がまちまちで、カンボジア政府からも詳しい条件が公開されないという訳の分からないルールで、途中トラブルに遭遇したらカンボジアへ強制送還。でも再入国には3000ドルが必要。。。という状況で怖くて動けませんでした。カンボジア政府からすれば、「とにかくみんな動くな、おとなしくしてろ」という事なのです。

それで事務所に籠り、仕事しながら帰るタイミングを窺っていたのですが、全日空が欠航続きで、エアアジアも全滅。タイ、シンガポール、ベトナムへも行けなくなり八方塞がりとなりました。困って日本大使館に聞いたところ韓国経由なら帰れるかもとの事。もたもたして徴用工がらみで韓国もトランジット禁止になったら大変だと、全日空の予約便をキャンセルし、意を決して8/10帰国のアシアナ航空便を購入したのです。

8月9日、8カ月ぶりにプノンペン空港へ。ガラガラ。アシアナのチェックインだけ混んでいて、一人ずつチェックがかかるのでもの凄く待たされました。ここで出国までの間に何か問題があったらチケット代がパー。ドキドキしました。何とか出国後はラウンジで食事。いつもはビュッフェなのにコロナのせいでバーコード注文。真っ暗な中食べ終わっていよいよ搭乗。

プノンペンから韓国の仁川(インチョン)へ。ここもビックリするくらいガラガラ。コロナに関する書類を書かされ、体温測定と検査、面談(英語)みたいなのをやらされました。

韓国で拉致られたら嫌だなーなんて思いつつ、一つずつクリアして最後の荷物検査までたどり着いたら手荷物の鍵で引っかかり、またも時間を浪費。無表情で動じないよう心掛けながら説明し、係員の指示に従って没収もなく何とか通過。ようやく成田行きの飛行機に搭乗できました。搭乗率は30%位。あらかじめ成田のPCR検査で待たされるから必ず前の方の席を選ぶようにとアドバイスをもらっていたので、エコノミーエリアのほぼ最前列に座って帰路に着きました。

成田では検疫までの通路にずらっとパイプ椅子が並べられ、一人ずつ書類提出と面談、PCR検査が行われます。私は前に座ってたのと、カンボジアからの帰国だったので1番にブルーシートを支給され、8ヵ月ぶりに日本の土を踏めました。成田もビックリするくらいガラガラでしたね。

入国時2週間自粛をするように言われますが、ブルーシート者は自粛場所を自分で決めることができます。もちろん自宅にしました。入国時に以下のような書類が渡されます。

日本へ戻ってきましたので、コロナが終わるまでは再び海外へ行くことはできないでしょう。今回お仕事としては満足のいくものではありませんでしたが、コロナの中海外で過ごしたのは貴重な経験だったと思います。

最後に私がプノンペンに滞在中、家を守ってくれた家族。変わらずお仕事をくれたお客様。私の事を心配してくれてオンライン飲み会に付き合ってくれた方々。プノンペンでぼっちだった時、顔見知りと日本語が話せただけでどれほど救いになった事か。。。本当に感謝です。8/25の自粛明けからはまた頑張ってお仕事させて頂きます。

私は元気です。本当にご迷惑をおかけしました。どうもありがとうございました!!